ホシノ丹沢酵母との不思議な出会い

天然酵母

雨の予報でしたが、未だ降らず、

こんな事だったら、洗濯干すんだった。

後の祭り。

 

星野さんが丹沢酵母を見つけた事。

 

1982年に星野昌さんが、朝日新聞にホシノ酵母を発表して

私どもも、随分待たされましたが、やっと酵母を手に入れて、

パン作りに取り組みました。

 

(今まで伊藤は、料理好きでは有ったものの、

パン作りに関わっていたわけではなく、

パンの事は、皆目分からず、書籍を見ての知識でした。)

 

星野さんは、酵母づくりを詳しく教えてくれるわけではなく、

ただ【舐めて味を覚えろ】が口癖でした。

その頃は、外麦の【カメリア】でパン作りをしていました。

星野さんの天然酵母でのパン作りの方法は、中種式。

 

砂糖も入り、上手に焼けると、本当に美味しいパンになりました。

この酵母で作った食パンには、しっかりお客様がついていましたが、

上手く出来る時と出来ない時の差が激しく、難しいいパンでした。

 

先ず、酵母起こしが、上手くいかないのです。

温度も分からずに、行って居て、今考えると、

随分ひどい事をしていたと思います。

上手く酵母が出来たときには、

天下一品のパンが焼き上がりました。

 

次に、小麦粉を国内産に変えて、変わりなく作っていました。

横浜の緑区の生協の人達に配ったりと、

忙しい日々を過ごしていました。

 

その後ホシノ酵母が、秦野に新工場を作り、

制作場所を移動しました。

その時です。今までの酵母の味が変わってしまったのです。

今までの酵母は、一次発酵終了時に、【デリシャスりんご】の

とても良い香りがしたのですが、その香りがなくなりました。

(今の人は、デリシャスりんごの味を知らないでしょうか?)

 

パンの味も落ちました。

とても悔しくて、仕方がなかったことを覚えています。

酵母の作る場所を移動させた為に、

今までの酵母が変化したのです。

 

その後の酵母は、【甘み】の強い味でした。米の甘みが

もろに出た感じで、麹の甘みが抑えられたようでした。

どうしたものかと考えても致し方有りません。

 

ちょうどその頃です。 秋田の知り合いから、

【白神酵母が発見された】と連絡を受け

秋田まで出掛けていきました。

 

太平酒造の児玉さんという方が見つけて、

本人にもお会いしました。

その酵母は、ブナの原生林の腐葉土の中から、

見つけたので、冷凍耐性は良かったのです。

 

でも、私達には、好みの味ではなかったのです。

ちょっと気落ちして、東京に戻って来ました。

仕方ないので、ホシノ酵母で作るしか無いので、

町田の工場で作った、酵母を使っていました。

(秦野で作った酵母と少し味が違ったのです。)

 

星野益男さん(昌さんの長男で当時の社長です。)

と何度も何度も話し合い、どうにかならないか?

と言っていました。

私も毎日、毎日、頭の中から酵母の事が離れず、

いつもいつも考えていました。

 

【ある日、何故か山の中の川のそばで、

星野益男さんと粉を計る時のスコップを持って、

何やら土を掘っていたのです。】そのような夢を見たのです。

 

星野さんが、 新しい酵母を丹沢で見つけたのは、

その時でした。

何度もテストをして、作るたびに「今度はどうだ?」と言って

持ってきてくれました.

 

以前の酵母とは又、違う味で美味しかったのです。

もろみの状態で、本当に吟醸酒のような、

香りと、味で、美味しかったです。

 

その酵母でパンを作ると、やはり独特の美味しいパンで出来ました。

私達は、それ以来 ずっと 丹沢酵母を使い続けています。

とても気に入っているのです。

 

星野昌さんの酵母は無くなってしまったけれど、

ご子息の益男さんは、丹沢酵母を残してくれました。

ずっとこの酵母でのパンづくりを、

伝えて行きたいと強く思っています。

 

今日はここまで、深呼吸を3回してオシマイ。

 

 

 

 

 

 

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